「もう寝た?」「まだだよ」「ちょっといい?」
真っ暗な天井を見ながら語り合った時間が
チェルシーハウスのすべてかもしれない。

2020年3月11日 | 卒寮生インタビュー | シェアツイート

今は北海道、岩手でそれぞれ社会人生活を送っている木内さんと熊谷さん。

二人は2014年1期生としてともに1階の101室に入居した同居人です。

「決して主流じゃなかった僕たちの話も、誰かの参考になれば・・・」と、チェルシーハウスで過ごした日々を振り返ってお話してくれました。


チェルシーハウス1期生

―お二人は記念すべきチェルシーハウス1期生ということですが、どんなきっかけでご入居されたんですか?

熊谷さん 僕はもともと青森から上京して、県人寮に入っていたんです。せっかくの寮なのでいろんな人と知り合って刺激を受けたいと期待していたんですが、まさかの完全個室で誰とも会わない日々が続いて。
「これじゃ東京に来た意味ない!」と危機感を感じていたときにオープンすることを知って、運命だと思って即入居を決めました。

―じゃあ、チェルシーハウスの相部屋に惹かれて?

熊谷さん そうなんです。これだ!と。2年生の春から住み始めました。

木内さん(以下敬称略) 僕は4年生で入りました。在籍していた体育会のバスケ部の活動が3年の9月で終わって、ラスト1年何かしたいなと思っていたところにSNSでチェルシーハウスのオープンを知りました。

もともと寮生活にあこがれがあったし、大学は神奈川なんですが、単位もほぼ取り終えて学校に行くことも少なくなっていたので引っ越すことにしました。

すでに出来上がっているコミュニティではなく、ゼロからスタートできるっていうところににも魅力を感じましたね。

―そして二人は101号室で運命の出会いを果たしたと。。。当時50人ほどがスタートメンバーとして入居したとのことですが、実際どんな生活だったんですか?

木内 第一期生は4年生が多かったので、みんなすでに自分たちの世界を持っていて忙しそうでした。でも、一方でせっかく寮に入ったからには、コミュニケーションをとりたい、と全員が様子をみていたんじゃないかな。

そんな中、5月に僕が北海道に教育実習に行くことになって。
節約して早朝便で向かうため5時半ごろに寮を出ようとしたら、みんな起きていて、不思議に思いながら靴箱を開けたら、手紙がダァーって落ちてきて。

―ラブレターみたい!

木内 笑。みんなからの激励の手紙でした。驚いたし、すっごくうれしかったです。

熊谷 みんな、周りの人に興味はあるけど、どう距離を縮めようと思っていた時だったので、すごくいいタイミングだったんですよね。
みんなで送り出しました。

それがきっかけで、ちょこちょこ飲み会とかいろんなイベントが企画されるようになって、部屋以外でのつながりも生まれ始めました。

―なるほど。ではそれからはお二人ともいろんな寮生と積極的に交流をされたんですね。

熊谷 いや。そのはずだったんですが、、、、なかなかそうもいかなくて。

木内 僕たち、なかなかリビングルームに立ち寄れなくて。なんとかリビングルームを通らないで外に出ようと裏口を使っていました。

―え?!なんでまた?

リビングを避ける日々

熊谷 すでにやりたいことを見つけて夢中になっている人が多かったので、気後れするというか。自分も何かやりたいことを見つけたい!と思ってきたんですが、なかなかうまくいかずモヤモヤしてしまって。

木内 僕は、ちょっと外出しようと思っても、「どこ行くの?」「何するの?」って言われたり、見られている気がして、なんだかそれが面倒臭くなって。

―それ、寮では致命的!!笑

木内 いや、みんないい意味で他人に興味をもっていたんだと思います。でもその時期の僕はそれがちょっとイヤだったんですよね。「コンビニ行くだけだよ!」的な。

熊谷 それでもっぱら、101号室に引きこもって話をしていました。

木内 二人とも周りがプレッシャーだったんだと思います。なんかすごそうって。でもりょうちゃんはいろんなことにチャレンジしてたよね。

熊谷 大学のイベント長やったり、地方創生活動をやったり。でも、どれも単発で終わっていつもさみしさを感じて。とにかくもっと無我夢中になれるものを渇望していました。

木内 いっつも、夜電気を消してしばらくすると、「寝ました?」って声がする。

熊谷 「寝てないよ」って言ってくれてそこからずっと話をするんです。天井見ながら。

―相部屋ならではですね!どんなお話を?

熊谷 お互いポロポロとただモヤモヤを吐き出すんです。もっとこうしたい、ああしたい。このままじゃいけない気がする。こんなはずじゃなかったとか。

木内 そしてそれをひたすら聞いて、受け止める。そしてなんというかそのモヤモヤを言語化していく、みたいなことをしていたような気がします。

熊谷 話を聞いてもらうと自然と収まるというか、明日も頑張ろうという気になりました。

―毎日?

二人 毎日毎日。

木内 チェルシーといえば、あの時間がすべてかもしれない。毎晩毎晩なんにも飾らないでひたすら話していたのが。

熊谷 あの真っ暗な中で二人とも布団の中から天井を見上げながら話す。あの空間だからできたんだと思います。

木内 今も、月に一回は電話するよね。あんな感じで。近況報告というか、用がなくても声が聞きたくなって電話しちゃう。

熊谷 電話だと顔が見えないから、あの時と同じ感じで話せているんでしょうね。

あの日々があるから今がある

木内 今思うと、あのもがいて焦りまくった日々が今につながってるんだよね。

熊谷 そうそう。最初は周りの色んな人に触れて、あの人みたいにならなきゃって思っていたんだけど、自分と違うものがたくさん見ていく中で、自分はそれと違うな、とか自分の中で変わらないものはこれなんだ、とか最終的に自分のことが見えてきて。

例えば、今地元に帰って仕事をしているけれど、僕にとって地方とか家族とかが大事っていうことは変わらないとか。当初イメージしていたことではなかったけど、悩んで渇望したからこそ、納得して今があるというか。

木内 そうだね。自分は自分というか。すごく論理思考に長けた寮生も多い中で、逆に感情を大事にするのが自分の強みだと思って、俺は俺でやっていくぞという気持ちになった。色んな人を知ったからこそ自分が見えたというのはあるなと。

―ほかのメンバーからの刺激と、101号室のどっちもあったからよかったんですか?

木内 それはそうですね。やっぱり、すごいなっていう人がたくさんいました。それっているだけで刺激になる。

熊谷 知識や世界も広がりましたよね。地方創生活動している寮生もたくさんいて。今の僕の仕事はその影響があったからだと思います。

木内 僕が卒業後、北海道の離島で高校魅力化プロジェクトに参加していたのもその影響がある。

熊谷 相部屋もそう。たまたま同部屋になっただけ性格も全く違うのに、こんなに深い話をして、一生続く友達になる。これは本当に寮に入ったからこその良さですよね。

木内 そうそう。こうやって何でも話し合って、心からアドバイスしあうような関係性を経験したから、今僕は高校の教師を選んだんだと思う。小学生じゃなくて高校生。対等に話し合って学びあう関係が好きなんだと思う。

それと僕は、自分の生徒にチェルシーハウスに来てほしい。いろんな刺激を受けた僕たちみたいな経験をしてほしいから。実は僕が教育実習生の時にかかわった高校の生徒や、千葉で教員していた時の生徒が今チェルシーハウスに住んでくれているんです。

熊谷 人をつなぐ仕事がしたいって言ってたもんね。

木内 やっぱり振り返るとチェルシーの日々があったから今の僕たちがいる。そんな場所をつなぎたい。

熊谷 そうですね。これから、チェルシーハウスに入る人もそうだけど、今住んでいながらちょっと悩んでいる人も、こんな僕たちみたいな寮生もいて、それでもいま思うとすごく充実していたと感じているっていうことが伝わったらいいですね。

木内 そうそう。これからOBOG20人くらい集まって飲みに行くんです。

熊谷 現寮生も来てくれるんですよ。

―いいですね、つながってます!


プロフィール


木内健太さん
北海道出身 東海大学卒

4年生の2014年4月から1年間チェルシーハウスに居住。
卒業後は北海道の離島で高校魅力化プロジェクトに参画。
その後、直接教育に携わりたいと地元に戻り、現在は私立高校で教鞭をとる。

 

熊谷 瞭さん
青森県出身 早稲田大学卒

2年生の2014年4月から2年間チェルシーハウスに居住。
卒業後は地元の電力会社に勤務。
地域での電力需要増に向けた企業誘致などに携わる。

 

チェルシーハウスでは
2020年春の入寮生を募集しています。

国分寺にあるチェルシーハウスでは、中央線沿いの学校を中心に20以上の大学・54名の男女が暮らしています。

広い共有スペースを活かし、寮生による企画なども活発に行われています。

自主性に根差した仲間たちとの深い関わり合いの中で、
学校では教えてくれない沢山の大切なことを学ぶことができます。


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