星が綺麗なこの小平市に住み始めて、約2年が過ぎた。
思えば、人生で始めてオリオン座を見た時もチェルシーにいた。
「星ってあんなに綺麗に見えるんだね、」と、
寮生と家の前でオリオン座を眺めていたことを覚えている。
この2年間、
10代から20代にかけてのとても大切な時間を、
この家で過ごしてきた。
チェルシーハウスに住む、ということ
私は美術大学の3年生でUXデザインや広告を勉強しながら、
フリーランスでデザイナーとして活動している。
大学進学と同時に上京し、チェルシーハウスに住み始めた。
チェルシーハウスとは、54人の学生が一つ屋根の下集う、国分寺にある学生寮。
住居としてでなく、大学生活の充実や成長を目標に掲げている寮だ。
某リアリティー番組の影響もあってか、丁度シェアハウスが流行っていた。
楽しいだけじゃない、『やりたいことを徹底的に』というコピーに惹かれ、
見学も行かずに住むことを決めた。
入中高一貫校で閉鎖的だった女子校から、上京してきた私。
もちろん最初は不安だった。
しかし、
気付けば寮生で毎晩フリースペースと呼ばれる芝生に集まり、
たわいもない話から、将来の夢まで語る関係ができていた。
誰かの誕生日会ではパイ投げをしたり、
地域の人と交流できるイベントを企画したり、
時には寮をより良くするために熱く話し合ったり。
勉強や課外活動で失った青春の1ページを取り戻すように、
チェルシーハウスという『第2の家』に没入する自分がいた。
「変化すること」は「成長すること」
入寮して数ヶ月経った時に、先輩に言われたある言葉。
ずっとその言葉が忘れられず、今でも心の中に残っている。
「チェルシー変わっちゃったよね。」
まだ住んで2ヶ月しか経ってなかった自分に、なぜそういう言葉を投げかけたのか。
『前のほうがよかった、』
それだけではない
『今年入ってきた子たちは、なんというか、チェルシーっぽくない、』
寮の優秀な人が減った、そういうニュアンスが含まれていたのは間違いなかった。
チェルシーは今年の春で5年目だ。
過去を回顧することは簡単である、
特にその美しい思い出が大学入りたての1年生という立場であれば。
初年度のチェルシーは確かに文字通り、『すごい人』で溢れていた。
有名外資のインターンに行く人、休学して世界を旅する人、起業する人。
しかし学生寮というシステム故、彼らにも卒業する時期がくる。
チェルシーが変化した、のではなく
初めは1年生だった自分達が引っ張っていかなければいけない立場になる時期がくる。
卒業というサイクルが存在するコミュニティの価値を常に高め続けるためには、
下の世代が先輩という立場になるまでに頑張り続けないといけない。
「チェルシー変わっちゃったよね。」なんて言う先輩にはなりたくなかった。
自分が卒業する頃には、『昔も良かったけど、今も良いよね』と言ってもらえるように。
過去をネガティブに振り返るんじゃなく、今を見つめられるような寮でありたいと思った。
そんな気付きは、たった半径5メートルの関係から生まれたものだった。
私にとってのチェルシーハウス
チェルシーハウスを社会と表現する人がいる、
しかしこの家は残念ながら社会ではない。
社会では付き合う人を選択できる。
しかしこの家では
全ての人々と付き合っていかなければならない。
キッチンが片付かない問題なんて、もう何年目だろう。
自分の半径5メートルの世界で生まれる葛藤や悩みに、
何か良い解決方法はないかと向き合って、考えて、試して。
そんな繰り返しが私を強くさせてくれた。
チェルシーハウスは、
私の大学生活においても、人生においても、
大きな学びと成長をもたらせてくれた場所だ。
町全体を巻き込んでイベントを考え、大急ぎで広報資料を作り、深夜3時までミーティングして、真夏にピザを焼いて、もうお馴染みになってしまったポップを聞きながら、夜にはオリオン座を観、来年は僕たちが企画しようね、とか言いながらインスタグラムに投稿してしまうような日々が
チェルシーにはある。
そんな日々は、葛藤や挫折という影があったからこそ、美しく私の中で輝いている。
チェルシーハウス国分寺 卒寮・現 チェルシーハウス檸檬 寮生
武蔵野美術大学 3年 林 苑芳